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Wの誘いあり、夏季休暇をとって28日から由布院2泊。28日の日曜日、正午前についてレンタカー借り、まずは別府でランチの予定が、閉店または休業している
ガイドブック掲載店多く鶏天発祥の店は長蛇の列、結局地獄巡り先でなにか食べることに。たぶん40年ぶりくらいの地獄巡りは、景観の変化に驚くものの、メインコンテンツはもちろん特に変わりなく。夕方
由布院の宿に入って、由布岳が一望できるという謳いの室内露天風呂(ほんとに一望できる絶景風呂)でゆっくりしてから、宿自慢の夕食を堪能。29日月曜日は朝駐車場から車を出そうとして隣の車にこすってしまい汗。連絡先を交換。この日は夕方会議があるので、15時前に宿に戻るスケジュールで、阿蘇神社を皮切りに国造神社、小国両神社、鍋ヶ滝。帰宿して会議後、部屋で少し風呂つかって近くの大杵社の杉を見に行って宿の夕食。翌日は由布院は金鱗湖周りの散策から、なにかないの?ということで宇佐神宮→富貴寺→両子寺→泉福寺→大分空港の国東巡り。レンタカー返して(保険はいっててよかった)、借りていた空港の会議室でリモート会議、JAL最終便で東京に戻ると雨。帰宅22時半前。たまたま長女が風呂を入れてくれていたので、お風呂入って、信長の野望を2時頃までやってしまう。
毎回行って後悔するのは、他人をと言うかWを気にしながらの旅は、後半に行くほど面倒くさくなるので、やっぱり独りが一番ということ。他人との距離感が掴めない私のせいではあるんだろうけど。とはいえ、阿蘇旅行は面白そうだということ、国東トレイルは是非やりたいという2点を確信。
由布院で泊まった宿は雰囲気もよく、室内露天風呂に食事もとてもよかったんだけど、二日目は口に合わず。あと、観光は平日に限るね。
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信長の野望・新生、1602年7月以降これまでの進捗。
1604年1月に織田信長が亡くなる。同年11月に越中制圧。06年、織田家との同盟切れを受けて、丹後・丹波・摂津に食い込んでいた織田家領地を制圧に動く。3月には伊丹城まで落とし、これら三国から織田家を放逐、河内・大和・紀伊・伊勢に抑えて、いよいよ武田家への侵攻を開始する1610年7月、近江から武田領に雪崩込み、美濃・飛騨へと城を落としていくと、北条家も同盟切れにともなって甲斐・信濃に一気に侵攻を開始する。挟撃された武田家はあっという間に縮小、1611年には三河まで進出、武田家は信濃・遠江・駿河に抑え込まれた格好。1612年1月、北条家が駿河に侵攻し始めたので、伊東家も武田領制圧に動く。同時に織田家への侵攻を開始、領土拡大に伴い不足の武将を確保するのが目的。5月に織田家滅亡、7月に武田家滅亡。ほぼ糸魚川静岡線の西を伊東家東を北条家(に、東北の伊達家)と国を分ける格好になり伊達家・北条家とは同盟を維持、領土開発のため一時的な和平期間へ。準備できた18年に北条との戦端を開き、伊豆・相模への侵攻を開始。上野への侵攻を陽動にして、小田原城を落とし相模は三崎城まで侵出の1620年5月。
大挙して関東攻めしようとしても、ルートが限られるため大渋滞になってしまい、兵糧切れで離脱する部隊が続出する。細かく分散して侵攻するのがポイントらしい。(てことで、各城の出陣を手作業で指示する必要あり...。)
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引き続き、信長の野望プレイ日記。
山城攻めでわかったのは、近畿から関東までの中部地域の攻略には、街道をよく見て要所を押さえるのが大事ということ。まずは近江を制圧したいので、織田領を通りながら、二条御所起点に時計回りで朽木谷城→金ヶ崎城→小谷城と、若狭攻略と絡めながら落としていく。1597年1月には南近江を押さえたうえで、織田家に大垣城攻めを依頼、関ケ原の連絡を混乱させている最中、四国中国の兵力で観音寺城はじめとする北近江三城を落として、同年11月に琵琶湖周辺に伊東家領を確立。1600年7月には一乗谷城を拠点とする越前を制圧、02年2月に長尾家が持つ金沢御坊を残し能登まで侵出。ここまで旧武田家版図を攻略すると、織田家も自ら武田家領に仕掛け始める一方で、武田家は畿内への侵攻を諦めたか戦国終盤最弱勢力の長尾家に侵攻を開始(越前能登攻めで長尾家に援軍頼んだせいとも言えるんだけど...それが理由で兵力を落としていた模様)。伊東家も同盟解消して金沢御坊を攻め、1602年7月、長尾家滅亡、大勢の家臣団は伊東家に入る(当主父子は開放した)。
こうやって書いてきてると戦国版図拡大絵巻的なゲームに見えるが、実際には、拡大する領土各地域(城とそれを中心にした複数の郡からなる)の人事と地域振興施策を絶え間なく繰り返すゲームで、特に開始後数十年経過すると寿命で次々と家老武将が亡くなっていくので、その後継人事に追われる羽目になる。兵力は米(石高)、国の成長は金、となかなか世知辛い。1600年過ぎると尖った武将も減っていくし。街道拠点を複数押さえる凝った攻め方で城を落としていくのは面白いが、今回織田領を挟んで畿内に離れた領土をもったため、このゲームありがちな終盤は巨大勢力のひたすら兵力でのぶつかり合い...みたいな展開ではなく、改めて新勢力立ち上げますみたいなことができているからまだ飽きてないところはあります。(
前シリーズは"ありがち展開"が見えたので、飽きてしまった)
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信長の野望プレイ日記。
柳川・久留米を落としたのち少し城回復の時間を取って、南北から大友家攻略を開始。1570年4月に大友家滅亡。折しも九州上陸に動いた毛利家を門司城に止め、翌71年5月にはそこも落として、伊東家、九州統一を果たす。73年末には周防長門に侵出、77年6月には安芸、その後備中まで順調に進んだ上で83年4月に伯耆は羽衣石城に毛利家滅亡。さらに備前の浦上家を滅して、播磨を領有していた長宗我部家の放逐、四国侵攻を開始。85年1月には、既に子に家督を譲って隠居していた伊東義祐死去する出来事などもあったが、同盟結んでいた織田家の支援もあり、1587年10月には長宗我部家滅亡。播磨因幡を歪な形で織田家と分け合いながら、九州中四国を治める最大勢力として君臨。第二勢力である武田家の勢力を削るべく、89年1月には織田家を挟んだ丹後は建部山城を攻略し、武田領への侵攻拠点を作る。その後約4年の休養期間を経て、長年武田家vs織田家が近畿最大の攻防を繰り返していた芥川山城と勝龍寺城間の戦に介入、織田家と協力して、二条御所と勝龍寺城を落とし伊東家のものに。1593年1月、ついに京を直轄することに成功。この次の一手が難しく、下手に他城に仕掛けると、際限なく中部全土から武田軍が湧いてくるので、入念な計画が必要な感じ。第三勢力である北条家と姻戚関係にあるうえ越後長尾家とも同盟関係にあるため、後顧の憂いがないのが痛い。現当主の伊東佑兵は、北条家から正室を迎え、武田-北条の姻戚消失に備えてはいるのだが。
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要領得ているので、開始後早速さくさくと国力増強を図る。伊東家本拠の都於郡(とのこおり)城を最初に大きくすると同盟結ぶ間もなく途端に大友家が攻めてくるので、まずは飫肥城を増強し、早めに大隅の肝付家を落とすのがポイントのようです。大友家とは着実に同盟を結ぶが、序盤で積極的に領内開拓進め国力をそれなりに増すと臣従はできなくなるので、同盟締結→親善のループをを遅滞なく行うのが大事。
1556年8月には島津家を滅ぼし、57年11月には人吉城に相良家、61年5月に阿蘇家を滅して、62年10月に龍造寺家を滅ぼす。豊前豊後筑前筑後を治める大友家と九州を二分(宗家はこの時点ではまだ生存)。この状況で当面は大友家と同盟維持しつつ、国力増強に入る。拠点は出水城に移転。中央はまだ複数勢力が鎬を削っており、織田家は着実に勢力を伸ばしている模様。
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1615年9月に毛利家は滅び、伊東家は因幡・備中まで侵攻、最大勢力である武田家と国境を接し停滞...からほぼ6年の1621年、東北を制した武田家の中国四国侵攻が始まる。岡山城を巡る合戦で威風発動、伊東家が備前を落とすが、続々と押し寄せる武田軍への対応にちょっと先が見えなくなって、ここでこのシリーズは終了し、再度1546年・信長元服シナリオの中級・伊東家で新ゲームを始めることにした。ゲーム操作・ポイントはある程度理解できているので、今回は勢力拡大スピードも重視してやってみたい。まだまだ信長の野望・新生の夜は続く。
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7日の夕方に大分入り。駅横の宿から
近くのラーメン屋を開拓してみたんだけど、不味くてがっかり。8日の月曜日は工場に出社して労使懇談会。翌9日は午前中に新しく導入した自動化設備の視察、午後はずっと面談、晩は工場メンバーとの懇親会。10日は一日宿でリモート会議、夕方キャリア採用面接。山の日の11日に午後イチで着くように宮崎へ移動。着いたところで待っていてくれた叔母夫妻とお昼ごはん、8日に病院から介護施設に移った父のことやその経過などなど話を聞く。父が免許返納の際に叔母に譲った車を借りて、施設で使う折り畳み机などを買いに行って、実家へ配達、車はそのまま駐車しタクシーで宿へ。んで、今朝は宿1階のコメダで朝食後(コメダ入ってるのでアパホテルにした)、西橘通り方面の薬局へ出向き父の投薬指導の契約、から実家へタクシー移動で、昨晩入ってた兄弟と合流。三男が借りたレンタカーと2台に分かれて介護施設へ。私は契約手続き、弟ふたりは父を連れて実家へ、午後イチにある母の三回忌の準備(父の着替え等)。三回忌の法事は無事に終わり、叔母夫妻に車を返して、実家に戻り家族で遅い昼食。舌が殆ど動かず時間がかかる父の食事が終わったところで施設に父を送り届け、残ってた手続き(所持金の確認などがある)。もう一泊する次男を実家に送って、三男と空港へ。バタバタしたが、午前中2組に分かれた(車が2台あった)ことが功を奏して、やらないといけないことはほぼ終わった感じ。
台風接近を告げるような風が吹くなか、狛江の自宅に戻ったのは22時半前。宮崎空港で買った餃子と白飯の晩ごはん後、
信長の野望新生を始める。
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信長の野望・新生、これまでの経過。
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1567年12月、龍造寺/毛利の侵攻に更に乗じた長宗我部の侵攻で大友家が一気に壊滅へ、の状況に同盟解消し、伊東家も懸城を落とし阿蘇方面まで進出。
1578年7月、既に落としていた隈本城を足がかりに柳川城まで、長崎は日之江城まで進出。信親に長女を嫁がせ長宗我部家とは姻戚関係、豊後-長宗我部とは同盟維持。
1586年11月、毛利家と国境接すると途端に大軍攻めてくるので龍造寺家を緩衝地帯にしてた状況から意を決して、伊万里城/平戸城に攻勢かける。両城落とすも、やはり毛利の大軍侵攻で伊万里城は落としてしまう。伊東家の本拠は隈本城に移り、伊東義祐は死去、伊東祐兵が家督を継いでいる。
1592年、豊後から久留米までは長宗我部家の領地のまま(同盟維持)、毛利との緩衝のため勢福寺城地域をに辛うじて領有してた龍造寺家を攻略し(龍造寺家は対馬へ)、一度勢力回復後、肥前/筑前/豊前の毛利を総攻撃。10月、ついに門司城まで到達。同盟を結んでいた武田家の仲介で、ここで停戦。毛利家とは一時休戦に入る。
1598年5月、まずは対馬の龍造寺家を滅ぼしたのち、いよいよ九州から長宗我部家を放逐するため、姻戚関係からの同盟を解消して、久留米城、府内城、臼杵城、岡城攻略を開始。久留米城の激闘がハイライト、伊東家ついに九州制覇成る。
長宗我部家とは再び同盟関係になり、四国からの侵攻は押さえ、櫛崎城に全面攻略をかける1602年。勢いで山口館まで攻略に成功。指月城まで落としたかったが、強攻完了の目前で兵糧尽き撤退を余儀なくされる。とはいえ、室津半島上陸の別働隊で侵攻制覇した群とつながり、山口方面攻略に成功。その段階で11月、姻戚の武田勝頼の仲介で停戦。
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PS5版「
信長の野望・新生」を27日から始めて5日目。早朝から日中は、かみさんが
DQXやってるので、晩飯後、平日でも1時過ぎまでやってしまって続く睡眠不足(30日土曜日は徹夜してしまった)。
例によって故郷は宮崎/日向の伊東家、難易度中級、1546年の信長元服で開始。リロードを繰り返しトライ&エラーの連続で、ようやく1565年10月に島津家を滅ぼし、九州の半分(南九州から人吉、国見方面まで)を制圧。ポイントは大友家との初期段階での臣従、肝付家を滅ぼし家臣団を取り込むこと、島津と大友家の国境接触を受けて大友家から援軍で城攻めをさせ島津の戦力分断を間歇的に仕掛けることかな。最後は龍造寺家が人吉侵攻したのに乗じて、一気に動いて人吉城制圧。
築城ができないのと、各地や城を制圧するたびに土地の能力がゼロに戻って再立ち上げに時間がかかること(一方でAIは好戦的)もあって、本拠から遠方に拡大するほど厳しい展開。次は龍造寺家と相まみえるんだけど、頼りの大友家が毛利と長宗我部に間歇的に攻撃されてて、先々に暗雲が...。
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