25
14日にも日帰りして在宅介護関係の調整、2週間で急激に足腰立たなくなっており、独り暮らしの継続は困難と判断。父も「もう止めたい」とのことなので、医療介護施設のアレンジを始めていた。19日夜(23時前)発の便でパリへ出張、フランクフルトに20日朝到着すると、訪問介護センターの方から電話、「腰痛で眠れず病院へ連れて行って欲しい」と火急のメールが叔母にあり、県病院で受診したところそのまま入院することになったとの連絡、すわパリ行きは止めてドイツから蜻蛉返りか?と緊張走るも、空港でPCR検査受けて現地法人オフィスへ顔だして続報待った結果、介護施設に入るまでのつなぎ入院とのこと。帰省しても県外からの訪問者は病院が受け入れできないとのことで出張続行することに。夕方着、空港と市街を挟んで反対側の宿に入ったのは20時前、昨日から現地入りしていた現法社員出張者の待つレストランで会食。翌日は学会場へ。今回の目的である欧州事務所開設40周年記念パーティーは市内の高級ホテル。移動は二階建てバスで観光スポットを巡りながら。フランス料理のコースディナーが終わったのは23時半、私の一本締めで閉会後、バーで食後の歓談が終わった頃には日が変わっている。翌日は学会展示の撤収を見て、夕方のフライトまでお土産買いに市内へ。余裕を持って空港着でチェックイン...なのに、フランクフルト行きの機材遅れとシステムトラブルで出発が2時間弱の大幅遅延、東京への帰国便に乗り継げなくなってしまった。フランクフルト空港のルフトハンザ・カスタマーサービスデスクで振替の便を探す。翌日(23日)発だと火曜日(24日)朝から午後までの事業部会議に出れなくなるので、2泊して24日発25日朝着を要求。2泊目については明日再度バウチャーを取りに来てくれということで、便は確保、預け荷物は一度出してもらって受け取ったのは23時過ぎ、タクシーの列に並び宿入りはまたも日が変わっている。翌日は事務所に顔を出し再度の空港PCR検査(搭乗前72時間以内が有効)など、事業部会議は深夜2時から朝8時まで、シャワー浴びて空港へ(2泊目は空港近くだった)。今回は定刻発、到着も時間通り。チェックポイントが細かく設けられた羽田空港の検疫を通ってPCR検査結果陰性確認まで約1時間。空港で午前の会議に出て帰宅。そのまま午後の会議が夜まで。その後、叔母と電話し父の状況確認。父から頻繁に指示が来てノイローゼ気味とのこと、東京に移してほしいと懇願される。手続きを確認する旨約束して、父に長文のメールを送る。
ANAの日本発便のサービス低下に驚く。ルフトハンザの食事(ドイツ発)のほうがマシに思えた。(トイレは日系社の機材はきれいですね) 羽田空港の検疫はよく出来ているなあと感心。パリではもう誰もマスクしていないし、それに違和感も感じなかった。ハグも握手もフツーにしてたけど幸い感染はしなかったみたいで、帰国検疫陰性でよかった。(陽性になる人もそれなりにいるみたい)
08
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「ロボットには尻尾がない」ヘンリー・カットナー(山田順子
訳)
原題"Robots Have No
Tails"、ルイス・パジェット名義で何度か短編ごとに邦訳されてたギャラガー・シリーズをまとめたもので原著は1952年刊。5篇中最後の48年作を除くと43年に書かれている。といった本書の経緯は巻末の解説にあるとおり。泥酔するとマッドな発明をしてしまう男と、なんとも我儘な依頼人、が起こす事件を担当し巻き込まれてしまう警察...といった面々に、3話目以降はナルシストのロボットが登場(本短編集のタイトルはここから)。スラップスティックなようで、黒く風刺も効いている(特にTV、エンタメ業界とか法曹界への皮肉が全開)。ガジェットも見事に未来予想になっていて、大戦中にネット社会を看過してたりとか、一筋縄ではいかない。後半狂言回しで活躍するロボット氏、ビジュアルイメージがついつい
FuturamaのBenderになってしまうんだけど、そっちはアル中のダメキャラなのよね。
07
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「The
Idea of North」 The Paintings of Lauren Harris
最近買った画集のうちの1冊(奇しくも2冊ともHarris姓の画家だったりする)。カナダの画家の、2016年の作品展図版。コメディアンのスティーヴ・マーティンの持ち込み企画ということで、本人も文を寄せている。スペリオール湖、ロッキー山脈、氷河など、透徹とした北の自然を抽象化した風景画として描いた人で、オタワの国立美術館に行ったときも目を奪われた画家の一人。代表作が掲載されていて、つらつら眺めながら、思い出すのはスイスの山を一人で歩いたときの景色だったりする。またあるきに行きたいなあ...。スケッチからキャンバスに描かれるまでの様子も載っている。
[
スティーヴ・マーティンのインタビュー:Museum
of Fine Arts Boston]
06
折りたたみ自転車のパンク修理、
近所のバイクショップで。24"径のチューブとタイヤは国内では手に入らないので、スペアを持っていた方がいいとのアドバイス。(今回チューブは2個のスペアを買ったが...。)補修部品が無くなったら乗れなくなるのかー、って当たり前だけど、購入するときにその理解はしてなかったなあ。
05
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シネマート新宿でアレックス・ウィンター監督「
ZAPPA」を観る。冒頭、民主化直後のチェコスロヴァキアでの伝説の最後の演奏から始まる1時間半弱。生い立ちから、高校でドンと出会ってバンドを始め、でもフィルムの編集が一番好きだったキャリア初期、"Mothers
of
Invention"結成と初期のショウ、ゲイルとの出会い、唯一無二の音楽を創出し続けた作曲家ザッパと、演奏者との温度差、孤独、検閲の母との闘いからの後年の政治との関わり、そして晩年52歳で逝去するまで。知られるザッパ史を本人のインタビュー映像、ルース・アンダーウッド、バンク・ガードナー、スティーブ・ヴァイ、マイク・キニリーなどに加えてゲイルの証言をはさみながら描く。とにかく濃い。日和ることなく、ひたすら自分の聴きたい音楽を創り続ける姿に、"アート"の真髄を改めて突きつけられた感じがする。音楽を語る/語られる部分も、その特異性というより作曲家としての求道に視点が絞られてて、フェアに描いてるなあという好感。「
ベルーシ」観たときは哀しさだけが残った感じだったけど、この映画には重い感動と厳しさがじわり。わたし毎回「Yellow
Shark」聴いてると、最後のスタンディングオベーション部分で涙が出そうになるんだけど、今回は堪えられませんでした。
積み上がったダンボール箱群の中から発掘した"Dumb All
Over"Tシャツ(ZPZを観たときに物販で買ったもの)を着てったものの、劇場には(Greatful
Deadの人はいたけど...)気合の入った方は居なかったなあ。客層は自分も含めほぼ高齢者w。パンフレットとポスターを購入。
03
30日の朝に家を出て宮崎へ帰省。到着した空港で叔母夫妻と会って食事しながら
接触事故の日のこととか今後について積もる話の後、PCR検査。実家近くまで送ってもらって、徒歩で実家へ。父に、平日の2日に免許返納する旨宣告。事故直後のLINEでは、「一層注意して運転するから」などと言っていたものの、ここ数日改めて自分の身体機能低下を見つめることができたようで、少しやり取り後、返納を承諾。この日は晩の食事を一緒にとって、私はホテルへ。
1日は、午前遅く父の朝食が済むのを待って、前日希望していたベッド購入等々。配達日の段取りを叔母に頼むなど。翌日のゴミ出しのため、台所の片付けを少し。腐敗したものや賞味期限切れのものなど、気がついたものは捨てる。この日も夕食は一緒に。門の前にゴミ出ししてホテルへ戻る。
2日、10時過ぎに北警察署へ。自己担当してくれた警察官の方に対応していただき、免許返納を無事終了。(書類を数枚書いて捺印)一度帰宅し、自宅住所管轄してる宮崎市の地域包括支援センターに向かう(朝電話で介護相談に行く旨連絡していた)。担当の方から最近の経緯を伺い、介護保険の申請をする(父が一度介護リハビリを利用したくて申請直前までいってたらしい)。担当の方が県病院の患者支援室の方と連携してくれていて、父の病気が特定疾患になるため介護保険と医療リハビリの両立ができることがわかり(以前相談時は通常両立できないということで介護保険申請を見送ったということ)、父は安心した様子。保険による介護は許可まで時間かかるため、手出しでケアサービスを使い始めたほうが良いと数社紹介、また食事宅配の業者なども教えてもらう。弁当買って帰宅、昼食休憩の間に、ケアサービスの調整など。午後はまずリハビリ通院している宮崎医療センター病院のリハビリセンターへ。担当の方が支援担当、県病院と連絡してくれていて免許返納はすでに連絡済み、今後の段取りも概ね裏で話し合われている様子。1時間弱のリハビリに立会い、県病院へ移動。神経内科医の診察と患者支援室の担当の方との今後の方針についてのすり合わせ。在宅リハビリに切り替える旨提案いただき、承諾。父の疾患は進行性で回復の見込みはないので、今後のことも考えケアマネージャを立ててくれる段取り(包括支援センターでその旨提案あり、承諾していた)。夕方には概ね方向性が決まったので、最後に来週からの食事の宅配を発注。お疲れの父に今回はここまでと別れを告げて、ホテルへ戻る。晩飯はラーメンと餃子。
午前の便で東京に戻る。またも遅延。今回は機材トラブルではなく気流のせいでの到着遅れらしい。帰宅14時前。
今回特筆すべきは、宮崎市の介護支援の関係機関間の連携の秀逸さ。免許返納から介護の段取り付けまで、平日1日の間に済ませられたのは、警察署/地域包括支援センター/リハビリセンター/県病院患者支援室の事前及び当日の情報共有と、たぶん支援のワークフローがある程度構築されているからだろうと思う。兄弟は誰も宮崎に住んでないので、今後は東京の施設に入ってもらうことも考えていたけど、宮崎で考えたほうがよいと痛感した。
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