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「13・67」陳浩基(天野健太郎
訳)
某ミステリ評論ブログをやってる先輩絶賛につき。香港警察の敏腕元警視の最期の事件を冒頭に、彼が携わった過去の事件を遡っていく連作モノ。返還前後の香港の変遷を遡行しながら、そして67年の暴動期のエピソードまで。香港警察の...というか社会の情勢を織り込む社会派でありながら、6話それぞれどれをとっても本格ミステリとしても秀逸で、最後の最後での鮮やかな転倒まで完璧に決める。まず冒頭の「黒と白のあいだの真実」が凄い。続く「任侠のジレンマ」のバイオレンス...(先輩絶賛の「クワンのいちばん長い日」は少し論理に走り過ぎてる感あり、個人的にはイマイチ...それでも怒涛の伏線と回収は脱帽モノ)。それぞれタイプの違う話なのに異常に高いミステリ密度。一気に読むというより、一話読んでは緊張を解く。体力要る一冊。
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「クオリティランド」マルク=ウヴェ・クリンク(森内薫
訳)
"ドイツSF大賞第一位"のポップに、出張先で読もうと入手。残ってた終盤を病み上がった今日付で読了。ドイツ連邦改めクオリティランド。暗い過去にも決別、イメージチェンジした新生国家、AIが管理する格付け社会、購入するものすべて...だけじゃなくパートナーすらウェブサービスのレコメンドをそのまま受け入れる人々。言ってしまえば、特に目新しさがあるわけではないディストピアものなんだけど、ドイツに住んでいれば雰囲気肌感覚で分かるし、あれこれ出てくるパロディも微苦笑できる。まあ面白く読んだのは読んだんだけど、暴走するわけでもなく、底知れない怖さが隠されているわけでもなく、ベストセラー的風刺小説という感じ。
平熱に戻るが、累積疲労に時差ボケも乗っかたためか、自律神経は失調中、酷い帯状発疹も出て、なかなか賑やかなことになっている。今週は休むことにした。もう思ったように無理は利かない。
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今朝から上海出張の予定だったんだけど、昨日から高熱で床に伏し熱一向に下がる気配なし。準備万端今回の出張調整してくれてたT氏に謝罪のメールを送り出張はキャンセルし、休日診療へ。インフルエンザA型陽性。週後半に予定してたケンブリッジ出張もキャンセルし、今週は自宅療養しますと関係者にメールを送り、薬飲んで臥す。
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少し風邪気味。帰宅が遅くなったにもかかわらず、時差ボケにつき、一昨日に続く伊達氏・佐竹氏の領土侵攻(能登攻め、駿河攻め)をやってみる。佐竹氏を相模以北まで押し、伊達氏は北信濃から越後以北としたところで、惣無事令。1628年6月。
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11日からの欧州出張より帰国。んで早速、京都攻略の続き。一度全軍帰城させてからの長宗我部改め下間氏殲滅戦。加賀攻めと尾張美濃攻めは清洲城・鳴海城の包囲戦をクライマックスに1625年秋には残存勢力掃討に入る。1626年6月に飛騨は松倉城を攻め落とし、下間氏滅亡。婚姻同盟の伊達氏、北条改め佐竹氏と三雄割拠で惣無事令を発し戦国時代は終結。
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「伊藤典夫翻訳SF傑作選
- 最初の接触」高橋良平 編
マレイ・ラインスター、ジョン・ウィンダム、ジェイムズ・ブリッシュ、フィリップ・ホセ・ファーマー、ジェイムズ・ホワイト、デーモン・ナイト、ポール・アンダースン。60年代後半のSFマガジンに掲載された伊藤氏訳の短編からの傑作選。いずれも古の大御所だけど、これから個人の短編集が刊行されることもなく、こういう形で読むことができるのはとても嬉しい。"時間SF傑作選"に続く第二弾ってことらしく(知らなかった)、今回はファーストコンタクトもの。
先の「NOVA
秋号」に較べるとテキスト/行間の情報量や動画(アニメ)的躍動とは異なる、読ませるサイエンスフィクションが心地よい。初出は40年代から50年代に渡っており、前大戦およびその後の世相の影響が垣間見えて、各編の底にある問い自体は重厚。未知への挑戦と異質なものへの恐怖...いずれも濃密な思索がフィクションの裏にある。個人的なベストはナイトの「楽園への切符」。自分の"観光"観というかSF観でもある。
10
明日から1週間欧州出張になるので、帰宅前に家族に今夜はPS4空けてもらうよう事前申請、帰り着くや、昨夜の四国平定・播磨侵攻の続きをプレイ。京都は二条御所を攻略。すでに勢いのない長宗我部氏改め(昨夜の土佐攻めで信親は捕縛処断された...)下間氏軍も流石に執拗な攻防を見せるが、数カ月に及ぶ持久戦の末陥落。1622年7月、伊東光が女性征夷大将軍に成る。同時に行った若狭攻めは失敗に終わるも、出張前に一区切りついて憂いなく夜中に出張準備。
08
家族が
DQオンラインをやってる合間を見つけて週末ゲーマー。1618年、大坂の陣が起こっていない日本史。長宗我部、伊東、北条改め佐竹、伊達の割拠が続いている。朝廷の仲介で停戦→軍備・兵糧回復しておき→長宗我部氏の侵攻再開を迎撃→攻城で漸進→次の大規模侵攻が始まったところを粘ったうえで朝廷仲介で停戦...の3-4年サイクルを繰り返し、伯耆・備前ライン(天神山城まで)、四国は伊予・讃岐まで進出に至る。当主は伊藤マンショから子の伊東光に移り、四代目。既に日向・薩摩は遠くなりにけり。
01
既に1607年、長門・周防から石見・安芸に進出。最大勢力の長宗我部氏からの怒涛の失地回復攻勢。軍団の使い方が上手く回らず...というか武将不足(相手には、松平元康一派に、真田氏、武田勝頼などオールスター揃いなもんで...つか、それ以前に頭数不足)。四国攻略も課題だが、上陸はするものの九州からの海路は遠く兵糧続かず。全国的には、上杉氏が滅び、頼みの北条氏、伊達氏も同様に攻めあぐねてるようで膠着状態。結局、丸一日やって前線一進一退、最後に堪らず朝廷に頼んで停戦で終了。
